2009年2月 8日

闇旅

今回の旅程を考えた時、本日朝の観光候補は二つありました。

1、バスに乗って妻籠&馬籠
2、恵那駅から明知鉄道

どちらも魅力的だったのですが、時間的に明知鉄道で昼食コースは無理です。となればやはり妻籠&馬籠。こちらもずっと、それこそ中学生の頃から行ってみたかったのですよ。何年越しやねんという話ですが、こちらも両方行く時間を割くのは難しかったので、今回は中津川から直行バスの出ている馬籠へ行くことにしました。

ホテルの朝食をさっさか済ませ、急ぎバスに乗り込み、すーっと発車したバスはどんどこと山を登ります。思った以上に山中といいますか、山奥にあるんですね。今年は暖冬ですから雪がありませんが、いつもはおそろしく雪深いのでしょうし、そりゃ平安時代はもちろん江戸時代も情報が入るのは遅れたことでしょうねえ。実は今回馬籠に行くにあたり、馬籠出身の作家島崎藤村の歴史小説「夜明け前」を慌てて読み始めたところなんですが、維新前夜の若者が、米もなかなか作れない、木曽の樹木だけが頼りのこの地で暮らすということは相当厳しいものがあったのだろうなということは容易に想像がつきました。

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江戸情緒を売りにする妻籠とちがい、馬籠は藤村を前面に押し出した観光地ですから、もっと作品を読み込んでいたら、より面白かっただろうなあと藤村記念館でつくづくと思わされました。何しろ藤村といえば、教科書に載っていた詩歌の類いしか知らなかったもんですからね、(竹久)夢二さんとカップリングで浪漫派志向の強い人ってなイメージだったのですよ。

ちゃうやん!

いや、詩歌の言葉は震えるほど素晴らしいんですよ。どこからそんな言葉が湧いてくるのかしらというほどにね。展示物を見れば「人生是教訓」を地で行くような、それこそ地に足めり込むような生涯。しかし、その一方で破滅的な行為にも走っておられるわけで、なんなんでしょうね、これは。よくいえば業、悪く言えば・・・。多数の展示物に張り付いていたら、なんだかグッタリしてしまい、唯一おもわず笑ってしまった「藤村いろはかるた(絵:岡本一平)」も現金の持ち合わせが少なかったこともあり(またか)、何も買わずに出てきてしまいました。

ただ、これは全国偉人記念館巡りをするたびに痛感させられ続けていることなのですが、昔の人というのはとかくキチガイのように勉強しておられるんですよね。娯楽の手段やらなにやら今とは時代が違うとはいえ、やっぱり凄いことだなあと。それはもうクラクラするほどに毎度毎度打ちのめされてしまいます。

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藤村先生(=島崎春樹)のお墓もお参り

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展望台から見た山々、いつもだったら雪に覆われているのでしょうね。

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町のあちこちを雪解け水?が流れており、昔から火事が絶えなかった事もあってか(坂道だらけなので、消火が大変だったのでしょう)、各家庭に防水槽がありました。

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手前に牛蒡の束が

美しい町並みを目にしながらも、どことなく憂鬱な気分が晴れないままバスに乗り、中津川に戻ってきました。

郵便局で現金を下ろし、栗きんとん「すや」の前も素通りし、駅前の蕎麦屋さんへ。
昨年も入った店(の本店)ですが、研修中という名札をつけた女性はどうやら中国の方らしく、さほど客がいるというわけでもないお店なのに、こんな田舎でこれまたどういう事情なのだか・・・。お蕎麦は変わらず美味しかったです。蕎麦湯でお腹がタポタポになりながら駅へと向かいました。

コメント

?? - ???? 私が探していたものです。情報をありがとうございました。

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